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2019年のタイ経済を占う「成熟」に向き合う戦略思考とは?

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低・中所得層に目を向けると、フィンテックの普及によって、アジアの一部の国々では通帳を持つことのできなかった層やATMや銀行の支店から遠く離れた農村で暮らしていた方々にとっては利便性が向上したというメリットがあります。

一方で、タイでは農村部に限りませんが、ファイナンシャル・リテラシー(お金に対する知識と考え方)の欠如による散財が問題となっており、都市部でも不動産価格の上昇を期待して、支払能力の限界を超えたような住宅ローンを組む人々が急増しています。家計債務をみてみると、国内総生産(GDP)比で06年に40%程度であったのが、15年には80%近い水準に急増しています。

これまでのペースで新築住居の供給が続きながら、不動産価格の上昇が永続的に続くとは考えられにくいことから、当然、タイ政府もこうした問題を認識しており、18年より、金融機関に対してローンの審査基準の厳格化などを求める通達を出しています(例えば、ローンを組む場合は、頭金2割の支払いが必須になりました)。

新たな技術の進展は、私たちの社会へ大きな恩恵をもたらすことが期待されます。一方で、社会格差の拡大を促す要因となることが指摘されており、情報技術そのものに対する評価は、技術を利用する目的や私たち自身の価値観と照らし合わすことなく、深く論ずることはできないのです。企業経営においても、ノウハウも大切ですが、変化の時代にこそ基軸が大切であり、社会現象を多面的にとらえるための「知の作法」を身に着けていかなくてはなりません。そして、その知が私たちの社会に対していかなる恩恵をもたらすことができるのかということを考え続けなくてはなりません。

このような変化の激しい時代に、将来を予測することは当然に大切なことですが、政策のアップデートや業界動向セミナーへの参加に足繁く通い、情報化とともに謳われる流行りのコンセプトや仕組み、経営手法の導入に関する情報をひたすら収集するだけでは不十分でしょう。

質の不確かな、価値の基軸が定まっていない情報をただ集めたところで、情報の処理能力を超えてパンクをしてしまいます。こうした変化の時代にこそ、経営の目的をいま一度見直し、普遍的な価値観を見直しながら、自らの現状をより長い時間軸・空間軸・技術軸の上で位置づけていく作業が重要です。

そのためには、過去を振り返り、歴史から学ぶことも有意義であると思います。第一次産業革命、第二次産業革命、第三次産業革命において、どのような変化が私たちの社会にもたらされたのか、ある地理的空間で生じた変化はどのように世界に広まったのか、新技術の到来によってどのような組織が淘汰され、どのようなグループが恩恵を受け、従来社会の何が失われてしまったのかということを、長い時間軸の中で捉えなおすことによって、第四次産業革命といわれる現代における皆様の関心ごとに対する新たな洞察を得ることができるのです。また、デジタル技術だけでは価値創造を担うことはできませんし、産業革命には光もあれば影もあるということを歴史から学ぶことができるでしょう。

もはや、これからの産業を担う高度人材の育成を一国の教育機関や一つの学問分野で完結することは非現実的であり、国や領域を超越した連携が不可欠です。経済社会の転換期において、失われつつあるタイの社会資本や基本的な価値観、そして、教育の機会に恵まれない方々がより良く生きていくための基本的なリテラシーを高めるための取り組みや、社会的弱者に対する配慮や持続的な発展についても考えていかなくてはなりません。こうした社会的目的と、経済的目的を互いに対立したものとみなすのではなく、分離不可分な等式として捉えなおす時期にきています。

このように、産業の高度化に求められる高度人材の技術的な知識習得の推進や関連する各種制度の整備のみならず、人々がよりよく生きていくためのリテラシー向上のための教育や社会的弱者に目を向けた包括的かつ持続可能な社会を構築していくための取り組みを根気強く継続していかなくてはならないと考えています。

19年度からは、メコン地域のみではなく、東京(お茶の水)にも、こうした知のプラットフォームを形成していきます。具体的には、「ヒルズ族」との差別化のために、企業の時価総額の大きさを競うマネー・ゲームではなく、ロイヤルプロジェクトや社会起業家の育成にも取り組む「御茶ノ水族」(ちょっと格好悪い?)を形成し、新たな価値軸でプラットフォームの形成を模索しています。私自身が地方出身の田舎者ですし、高級車とお洒落なスーツで集まるクールな会とは程遠いですが、自転車とジャージ(これは冗談ですが)で社会の在り方をじっくりと考えようと人々が集まり始めています。


タイで9月に開催されたフォーラム「デジタル・タイランド・ビックバン 2018」に在タイ日本大使館の佐渡島知事やピチット・デジタル経済相らと登壇

デジタル社会が企業経営に及ぼす影響

情報の技術革新が急速に進展し、私たちの経済・社会のありかたを大きく変えようとしています。企業経営においても、既存ビジネスの競争優位性の変化やビジネス・モデルの革新が起こりつつあります。このままデジタル社会の渦に巻き込まれてしまうのか、デジタル・トランスフォーメーションを成し遂げていくことができるのか、多くの企業において戦略的観点から事業ドメインを再定義していく必要が生じてくるでしょう。

事業領域によっては、ライフサイクルそのものの寿命短縮が顕著となり、デジタル化による産業構造の崩壊は、破壊的な(Disruptive)イノベーションの出現を促し、従来の産業の枠組みを超えた予期せぬ競争が増加していくものと思われます。十数年前に、Uber、Bitcoin、Alibaba、AirBnB、などの「ネットワーク」、「関係性」、「シェアリング」をカギとしたビジネス・エコ・システムの台頭を予期していた人はどれほどいたでしょうか。

オールドエコノミーでは、製造業を中心としてモノづくりの現場をマネジメントすることで、商品やサービスの機能や品質の向上が競争力の獲得につながってきました。物的な資産を有するための資本力や社会的信用を得るための歴史性など、「古くて重くて大きな組織」が主役でした。これらは引き続き企業競争に重要となる部分もありますが、第四次情報革命ともいわれるデジタル化の進展に特徴づけられるニューエコノミーでは、「軽くて身軽で選ばれる組織」が緩やかにネットワークを形成しながら、オールドエコノミー下の制約を超越して社会に変革をもたらしていきます。

デジタル技術が社会に浸透し、種々の形で変化をもたらしていることの身近な例としては、新聞、書籍、音楽、ビデオなどを考えてみるとよいでしょう。 これらは、有形のモノから無形の情報へと形を変え、デジタル配信されることが一般的になりつつあります。デジタル財は、無形で、追加生産(複製)コスト、在庫・流通などにかかるコストや所要時間が有形財と比べると圧倒的に安いという特徴があります。

たとえば、アリペイは世界最大の電子決済量を誇りながら支店を持っていません。アリババも在庫を一切持っていませんし、ウーバーはタクシーを一台も所有していません。近年、急速に成長をしている日本発のソーシャル経済メディア「NewsPicks」などを提供するユーザベース社は、従来の経済メディアと比べ圧倒的に少ない固定資産と人員で質の高い尖った専門的な経済情報を低価格で発信しています。

当然、企業活動で発生するコストは、最終的に誰かが負担することになりますから、従来の事業者は小手先のデジタル化ではなく、ドメインの再定義を通じた競争フィールドを明確にし、それが社会に受け入れられるような仕組みを考えていかなくてはならないでしょう。デジタル社会の到来は新しい企業グループに多くのビジネスチャンスをもたらす一方で、既存のビジネスの延長線上で事業展開をしている企業には難しい時代が到来するともいえます。

日本では欧米諸国と比べるとプレイヤーの入れ替えは顕著ではありませんでしたが、次の10年で、また大きく現状が変わっていくことになるでしょう。一方で、デジタル産業の事業成長スピードや時価総額の急激な拡大には、さまざまな脆さも孕んでいますので、現在のデジタル産業界の旗手たちが長期にわたり現在の競争ポジションを確保することは容易ではないことも指摘しておきます。

いずれにせよ、企業を取り巻く競争のルールはデジタル経済によって、モノ(製品・サービス)・資本の移動からヒト・情報の移動を通じたデジタル・パラダイムへと大きく変化をしていることを理解しておかなくてはなりません。こうした変化は、国と個人の関係や企業間のパワーバランスへも大きな影響を及ぼし、人々の日常生活にも変化を及ぼすことから、当然、私たちの経営に対するアプローチへも影響を与えます。

技術革新は、人間が有する能力を伸長させる手段となり、組織の情報能力の増大は、新たな経営実践の様式を創出させるでしょう。しかし、技術は人間の代理者ではないので、私たちの自己責任において、ネットワークへの参加が困難な人々への配慮やネットワークの向こう側にある世界や異なる価値観を尊重することのできる人間力を醸成し、多様性のなかで埋もれることのない「個」を強めていく必要があります。

変化の時代に求められる経営戦略

今後は、日本国内のみならず、タイにおける事業でも、デジタル化の進展によるライフサイクルの短縮化や、マクロ経済成長の鈍化にともなう製品・サービスの成熟化への対応が求められますので、こうした文脈において「経営戦略」に向き合う必要があります。経営戦略のとらえ方については、経営学においても実に多くの学派がありますので、それは、私のゼミもしくはビジネススクールで学んでいただくとして、以下では、「ドメイン」と「成熟」という点について説明しましょう。

まず、企業が継続的に成長を続けるには、常に新たなS字カーブを描き出していかなくてはなりませんので、「脱成熟化」への対応が重要になります。経営学では、売上高の大部分を占める主力事業の成長が鈍化してきた企業が事業を再定義したり、新事業へ進出したり、既存事業を新たな戦略的発想で再活性化することを脱成熟化と呼びますが(加護野 1989)、そのためにはドメインの(再)定義が重要であり、これは戦略策定の出発点となるものです。ドメインは「企業の目的、哲学、ポジショニングを表明するもの」(野中 1985)であることから、管理者ではなく、経営者の仕事であるといわれます。


明治大学ビジネススクールの学生が6月にサシン経営大学院を訪問し、交流を深める

ドメインの再定義を通じた脱成熟化戦略

これまで、日本企業は、右肩上がりの成長を前提として(タイ事業も同じです)、長期雇用、年功序列、内部昇進という原則のもと、賃金の安い新入社員の採用を増やし、「成長率>平均賃金の上昇率」という公式のもとで、良好な循環を形成してきました。しかし、「成長の経済性」(ペンローズ)を享受することができなくなると、こうした好循環による組織運営は機能不全となり、様々な副作用が生じることになります。そこで、環境の変化に合わせてドメインを再定義することができればよいのですが、組織という集団においては、ここで求められる脱成熟化の遅れをもたらす力学が多く働いてしまうのが難しい点です。

成熟事業への対応には、「成熟という事実の認識」と「事業の仕組みの再構築」という継続的な活動が不可避になります。前者の認識は、外部からみていると明らかに見える変化も、特に成熟事業はキャッシュを生み出すので、組織内部からは対応が遅れがちになってしまいます。そのため、ドメインを予め限定しないまま、多角化や買収を行い、アドホックに多様な事業分野に進出する企業もありますが、持続的な成功は望めないでしょうし、経営者の注意力という資源は限られていますので、ReturnonManagement(Simons2000)は、悪化の一途をたどります。


明治大学で講義する藤岡氏

たとえば、米国の鉄道の衰退は、ドメインを「鉄道事業」ではなく、「総合輸送事業」と定義できなかったことが原因であるともいわれます。計画と実行のフェーズは二分できるものではありませんが、市場との対話を通じて企業ドメインを意味づけしていく必要があります。戦略論では、このプロセスを通じて組織活動を組み替える資源の動的な活用能力の獲得が持続的な競争優位の確立にとって大切であるとされます。形式的な組織構造や仕組みの導入ではなく、組織の知識や価値基盤が変化し、行動様式を変容させ、組織レベルの問題解決能力と行動能力が改善されなくてはならないのです。

この変化のプロセスで重要な役割を果たすのが、トップ・マネジメントであり、将来ビジョンを描き、現実とあるべき姿のギャップを示し、変化のためのエネルギーを生み出し、方向づけていかなくてはなりません。これが「マネジメントの課題」(ドラッカー)であり、マネジメントは科学であると同時に教養であり、信条と経験の体系なのです。

戦略的思考とは、技術革新を含めた外部環境への適応のみならず、組織内部へも関心を払うことは当然ですが、リーダーとして自らに真摯に向き合うことに他なりません。人間は、物事がうまくいっているときには、なかなか自らを振り返ることはできないものです。多くの国々で「暗闇」に入ることがスピリチュアルにとらえられるように、多くの人々が病気になって初めて健康や他の人の痛みを感じることができるように、暗がりや恐れ、そして困難への対応のなかで、自ら(の思考)を変容するのです。「成熟化」(暗闇)を、自らを今一度見直す契機ととらえ、物質的・利己的な成長では測ることのできない価値を見出し「成熟」について多面的に向き合うことも大切です。

本来、「成熟」という言葉が意味するコトは多種多様であったはずです。残念ですが、最近は、上司の評価ばかりを気にするヒラメ型の組織人、他人や外部環境に責任転嫁をしてしまう他律的な事業責任者、タイという国で気が緩み横柄な言動になってしまう方々が増えている気がします。デジタル化で社会がどのように変わるか、自分がどのように評価されるかを過度に心配するよりも、自らの内面を見つめなおし、自律的に生きていく覚悟を決めることが何よりも大切なのではないでしょうか?どうするのかという手法論ではなく、どう生きていきたいのか、どうありたいのか(being)、社会や自らの「あり様」を問い続けるための知の方法論(Hopwood 1993)が、デジタル化や成熟化という現実(荒波)に向き合う際の羅針盤となるのです。

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