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賢慮という知のあり方を問う タイビジネス戦略

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経営人材の育成を

タイ人オーナーと話をしていると、日本企業には業務管理ができる人はたくさんいるが、経営判断ができる人材がいないと言われます。ファミリービジネスの企業のオーナーは、子息にタイの教育に加えて、欧米のエリート教育を受けさせ、世界のエリートとの競争の厳しさを徹底的に叩き込みます。一方で、同じ釜の飯を食った仲間意識が芽生え、その後の人生において、損得勘定抜きの質の高いコミュニティを世界中に有することができるのです。ノーブレスオブリージュ(nobles oblige)という言葉にみてとれるように、質の高いエリート教育とは、選ばれたものが社会に対して果たしていくべき責務をしっかりと考える場です。

経営学の世界でも、欧州のトップスクールでは、自らの研究が社会にどのようなインパクトを与えるかを徹底的に考え抜かせるために、哲学、社会学、文化人類学、政治学、倫理学など幅広い学問を学びますが、こうした教育には非常に大きなコストや負担がかかるために、ごく一部の限られた機関のみでしか学ぶことはできません。幅広く学ぶ中から自らを相対化する力を身につけるということは、価値観の異なる人々とのコミュニケーション能力を磨くことにもつながります。日本村で持論を展開するだけでは駄目なのです。

近年、日本企業の不祥事をみていると、ある時から一定の期間での利益を最大化するための、数字へのプレッシャーが強くなりすぎたように感じます。日本企業が必死に取り入れようとした北米を中心とする多くの経営理論やツールの多くが、実は、1980年代に彼らが日本から学ぶプロセスで生まれたものでした。こうした事実を知ることなく、表面的に「北米流」の経営手法を取り入れたことで、先述した「家族」的な経営とも親和性のあった多くの強みが失われてしまいました。今までは「日本人だからうそをつかない」「人を大切にする」と信用されてきましたが、日本を代表する企業による根の深い問題が顕在化してしまいました。

このような価値観のズレや倫理観の欠如は、がん細胞のようなもので、一度社会のなかに入ってくると、色々なシステムを蝕んでいきます。組織レベルでも、日本で優秀といわれたビジネスパーソンが海外に出て、損益責任を持たされるようになると、人が変わり、これまで誠実に長期的に物事を進めてきた人が短期的な時間軸に置かれたプレッシャーによって、近視眼になり迷走する姿を多くみてきました。日本では、組織が守ってくれていたため、結果が直接は自分に返ってきませんでした。

しかし海外で、自らが代表者になると、財務数値が自分事となります。経営の経験がないのですから、上手くいかないのはある意味当然ですが、結局は、他律的に外に原因を求めてきた仕事から、自律的に原因を内に求め、経営者としての責務を全うするだけの基礎づくりをしてこなかったということに尽きると思います。自律的に行動をする癖のついていない方々というのは、経営責任を追及されることに慣れておらず(指摘を受けることに慣れていないため)、建設的な批判を受け入れることなく、同じ失敗を繰り返しながら、結果の責任を「外」に求めがちです。

早めに課題を認識するということは、未来を先取りするということに他ならないのですが、大きな波風に耐えうるだけの、人間としての価値の基軸という根の部分がしっかりとしていなくては失敗から学ぶという当たり前のことができなくなります。

AIにできないこと人として存在価値

毎年、ビジネスにおいて様々な出来事が起こりますが、大切なのは、移り変わっていくものと変わらないものを見極める基軸とものさしを持つことです。測定基準がはっきりしていなければ、何がどれだけ変わったかを理解することもできません。基軸を持たず、ものさしがないまま、組織を荒波に漂流させてはなりません。

日本企業は新興国の台頭によるパワーバランスのシフトとデジタル化の渦の中で、変化に対応していかなくてはなりません。こうしたテクニカルかつデジタルな社会では、結局のところ「人にしかできないことは何か」、どれだけ考えても答えが出ない問題に真剣に向き合うことが重要になってきます。正解がないなかで、前に進むのは難しいですが、その時、正しく問いを立て続けるための羅針盤となるのが哲学です。それはある意味、合理的に考えすぎないことを示唆します。数字は合理的ですがそれを扱う人間の脳は非合理で、コンピュータで言うとバグだらけのポンコツです。

非合理なことをするのが人なのですから、経済的・合理的に導き出された解が必ずしも適切ではないのです。経済性や合理的な部分を超えたところにある何かに価値を見出すことができるというのが、人間がAIと異なる部分なのではないでしょうか。これをジャッジメントといいます。ファイナンスで限られた案件の中から投資先を選ぶというのは意思決定(decisionmaking)であり、これはAIにはかなわないでしょう。

今の日本企業に求められている経営人材とは、意思決定をできる能力ではなく、全人的にコミットをして選択肢そのものを創造することのできる判断能力なのです。意思決定は、前提が同じであれば、AIであっても、人間であっても同じような結果になりますので、競争優位は生まれません。経営を単なる技術的な問題に還元するのではなく、経営哲学に基づいた価値判断に関わるものとして、捉えなおさなくてはならないのです。

カントが述べたように、人間は他律的であると同時に自律的でもあります。株主価値の最大化やボーナスという外の要因ではなく、自らの意志で物事に取り組む自律的な行動が大切なのです。自律的行動は、自らに失敗の原因があるので、自由意志や行動は常に責任を伴うものとなります。スピードの求められるデジタル化の渦で生き残るには、コマンド&コントロール(命令と統制)から、コミュニケーション&コラボレーションが大切になりますが、そのためには、自律と責任のマネジメントが不可欠です。

少し難しい言葉を使わせてもらうと、アリストテレスの知の概念のひとつである賢慮(phronesis)「より良く生きる」ために人間が持つべき知のあり方、つまり、自分がおかれた現実の状況の中で、科学知(episteme)と技術知(techne)を適切に利用する知のあり方こそがいま求められているのです。科学的・技術的なレンズだけでは、現実社会を理解することはできないので、こうした知を補完する役割としての哲学が求められるのです。

科学知の普遍的真理と技術知の技術的能力に意味と有用性を付与するのは人間なのです。日本の近代化に貢献してきた先人たちは、人間が持つべき知のあり方を問い続け、状況を所与のものとしてではなく、自らもその一部として変化をしながら、状況そのものを望ましい方向へ変えていく賢慮をもつことで、ある時点では夢であった理想を現実に変えてきたのです。


取材協力: サシン経営管理大学院日本センター

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