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タイ・ASEANの今がわかるビジネス経済情報誌アレイズ

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サシン経営大学院日本センター 藤岡資正所長コラム

アジアとともに未来を創るスタートアップと創造都市

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      地政学的リスクの顕在化が進んだ世界経済

      世界を震撼(しんかん)させた新型コロナウイルス感染症による混乱も約3年の時を経て収束を迎えたことで、世の中もようやく落ち着きを取り戻しつつあるように見えました。しかし、2022年初頭からはじまったウクライナ戦争はまったく終息の見通しが立っておらず、米中対立のエスカレーションや中東情勢の悪化によって、世界を取り巻く情勢はこれまで以上に厳しいものになっています。さらに日本やタイを含む東アジアでは台湾有事の懸念、北朝鮮によるミサイル発射問題など多くの脅威にさらされています。自由で開かれたインド太平洋(Free and Open Indo-Pacific, FOIP)の実現には、あらゆるレベルでのASEANとの戦略的互恵関係の構築が不可欠であり、そうした認識をより一層共有していくことが重要となります。

      2024年の事業を展望するにあたり、上記のような地政学リスクや経済安全保障に関するリスクの顕在化への対応を避けて通ることはできません。国家間の緊張や地域紛争などによるリスクは、企業経営では原材料の調達問題や物価の高騰などへとつながることから、グローバルサプライチェーンの再構築が急務になっています。もちろん、これまでも東南アジアやメコン地域での事業展開に際しては、各国の政情不安、ハイパー・インフレーション、洪水や地震など、自然災害への対応などについてのリスクを勘案したうえでリージョナルサプライチェーンの構築が進められてきました。私たちも産官学が協力することで、製造業におけるタイプラスワン戦略や日タイ・日メコンでの戦略的互恵関係の構築に向けて、さまざまなプロジェクトに取り組んできました。こうしたプロジェクトは、地域事業戦略としての意味合いのみならず、自然災害への対応としての危機管理マネジメント、中国の影響力に対するリスク分散、グレーターメコンサブリージョン(GMS)構想などの意味合いもあり、企業レベルに留まらずメコン地域における日本の立ち位置を確保していくための取り組みでもありました。残念ながら、このような私たちの危機意識は、企業レベルでのコスト削減の一環としてのリージョナル戦略という意味では広く製造業を中心に浸透したものの、国家や国民の安全を経済面から確保していくという「経済安全保障」という意味では、必ずしも広く共有されたわけではありません。しかし、直近の数年間で世界情勢が急激に悪化したことにより、現在では多くの人がこうした問題意識や危機意識を「当事者」として共有することができるようになりました。


      近年の危機

      国際情勢の緊迫化によって揺らぐ秩序

      東西冷戦の終結後、多くの貿易協定が締結されることによる自由貿易の推進が世界経済を発展させるとの考えのもとで進められた貿易の自由化は、米国を中心とする先進工業諸国や中国経済発展にも大きく寄与するとともに、ASEAN諸国もこうした恩恵を少なからず受けてきました。米国を中心に経済的な開放性を促すことによって各国の自由な交易を促進し、さまざまな国際機構を通じて政治的な互恵性を高め、ルールに基づく国際秩序の構築を通じて国家間の関係性が深まることが期待されていたのです。そこでは、力の支配ではなく法の支配によって国際紛争は平和的な手段で解決されると考えられていました。

      しかし、自由な経済活動の拡大が互いの国家を豊かにし、経済的な結びつきと法の支配に基づいた秩序によって戦争によるコストを増大化させて、軍事を相対化させるという第二次世界大戦以後の米国を中心とした国際社会の取り組みはここ数年間で一気に後退してしまいました。また、リーマンショックやコロナ禍によって、米国などの先進国においても国内の不況や貧富の格差の拡大の不満が高まり自国主義が強まったことで、そうした不満のマグマはグローバル化した経済や経済的リベラリズムに対する反発の高まりへとつながることになったのです。

      国際情勢の緊迫化によってルールに基づく秩序が大きく揺らいだことに、再びパワーポリティクスが台頭し、経済活動もまた政治的な駆け引き材料として用いられるようになってしまいました。こうした中、企業経営においても、地球温暖化問題やパンデミック(世界的大流行)や自然災害といった危機への対応に加えて、国家間・地域間の対立をはじめとする紛争の危機という重層的かつ複合的な危機への対応が不可欠となっています。残念なことに、世界各国が協力してよりよい社会、誰もが平和に暮らせる世界へと単線的に発展していくわけではなく、私たち人類はまるで歴史をさかのぼりながら韻を踏んでいるかのようです。

      このような危機的ともいえる現在の状況を悲劇にしないために、私たち一人一人が何をすべきなのか、何ができるのかを考えることが大切です。過去800年間にわたって危機の歴史を研究してきた元IMF(国際通貨基金)チーフエコノミストでハーバード大学教授のケネス・ロゴフ氏は著書『THIS TIME IS DIFFERENT:Eight Centuries of Financial Folly』において、多くの人はもっともらしい理由があれば、「今回だけは違う(this time is different)」と思い込み、危機に正面から向き合わない傾向があると指摘します。その結果として、危機の兆候があるのに、そこから目を背けることでそれが深刻な危機へと発展してしまうことになると警鐘を鳴らします。日本やアジアを取り巻く国際情勢においても「日本は大丈夫」、「誰かが何とかしてくれる」といった問題意識・危機意識の欠如が深刻な危機へとつながる可能性があることを企業経営においても想定しておかなくてはならないでしょう。「危機」を「悲劇」にしてはならないのです。

      ASEAN有識者の見解と日本のプレゼンス

      地政学リスクの顕在化と経済安全保障が複雑性を増していく中で、日本にとってのASEANとの関係性の構築の重要度は高まっています。こうした中、ASEAN諸国からみた日本・米国・欧州・中国との関係性はどのようなものでしょうか。この点について、シンガポールにある東南アジア研究所(Yusof Ishak Institute〈ISEAS〉)の大規模サーベイ調査「The State of Southeast Asia 2023」を取り上げてみてみましょう。本調査ではASEAN各国の学術機関、政府機関、シンクタンクなどに所属の有識者1,300人に対して、ASEANがおかれている現状や直面している課題などに関する質問を行っています。この中で、「東南アジアで最も経済的に影響力がある国は?」という質問がありますが、第1位は中国(59.9%)が最多で、第2位の米国(10.5%)や日本(4.6%)、韓国(1.0%)を圧倒しています。ただその一方で、「その経済的脅威が自国に及ぼす影響についてどう思いますか?」という問いには、当該地域に対する中国の影響力が拡大に対して64.5%が懸念を示し、歓迎すると答えた35.5%を大きく上回りました。そして、米国の経済的影響については歓迎するが65.7%で、懸念するが34.3%となっています。

      また、同地域に対する政治的・戦略的影響力が大きい国についての質問では、中国(41.5%)、米国(31.9%)、日本(1.9%)、韓国(1.7%)という結果となっています。そして、政治的・戦略的影響が自国に及ぼす影響については、中国が自国の政治的・戦略的脅威になり得ることに対しては懸念すると答えた割合が68.5%に達し、歓迎すると答えた31.5%を大きく上回っています。

      こうした結果からもASEANの有識者は政治的影響力や経済的影響力を強める中国に対しての警戒感を強く持っていということが分かります。また、米国に対する政治的・戦略的影響力については、歓迎するが55.8%で、懸念するが44.2%となっており、米中の対立に巻き込まれたくないという思惑が見え隠れします。この他には、「ルールに基づいた秩序を維持し、国際法を守るためにリーダーシップを発揮できると最も信頼できる国はどこですか?」との質問に対しては、米国(27.1%)、EU(23.0%)、日本(8.6%)、中国(5.3%)という結果となっています。

      このようにASEANの有識者は、経済面で中国への依存度が高まっていることから、中国との経済的な関係を可能な限り良好に維持したい一方で、依然として政治面では中国に対する警戒感は強く、米国やEUとの関係性も重視していくという実利主義的なスタンスを保っていることを理解することができます※1。

      ただ、残念なことに、少なくともASEANを代表する1,300名人の有識者の見解としては、米国や中国と比較した場合の日本の政治・経済の両面におけるプレゼンスや期待は総じて低いと言わざるを得ません。また、ルールに基づいた国際秩序を守るための日本のリーダーシップに関しても、米国と欧州と比較してもケタ違いに日本への期待が小さいということが分かるでしょう。

      ※1 石川幸一(2023)「中国とASEANの経済協力と行動計画(2021−2025)」『世界経済評論インパクトプラス』第22号、http://www.world-economic-review.jp/impact/plus/impact_plus_022.pdf(2023年12月2日閲覧)を合わせて参照ください。

      東南アジア研究所の大規模サーベイ(2023年)

      競争力が弱まっていく日本と成長するアジア諸国

      こうした見解は、日本人としては少し寂しい気もしますが、日本の名目GDPは日本の人口の3分の2であるドイツ(約8,000万人)に抜かれて世界第4位となり、数年後にはインドに抜かれて第5位になる見込みです。日本の人口は世界で第11位ですが、国の平均的な豊かさの指標である一人当たりGDPでは世界で31位となっています。この順位は円安が反映されていない時点ですので、円安の値が反映される来年度はさらに数値は悪化することになりますが、実は円安は問題の一部でしかありません。アジア開発銀行の資料によると、2000年から2022年度までの生産年齢人口当たりの実質GDPの成長は日本が30%成長なのに対して、韓国や台湾はそれぞれ約200%と210%となっており、デフレや円安のみの問題ではないことが分かります。日本は少子高齢化や円安の影響を差し引いた実質ベースでの成長率も低く、数量ベースでの付加価値創出の弱さが停滞の大きな問題となっているのです。中国に名目GDPを抜かれた後も日本との差はあっという間に大きく広がり、いまやGDPの差は約4倍に開き、中国の国防費は日本の3~4倍となっています。

      このように年々、競争力が弱まっていく日本ですがIMD世界競争力年鑑(2023年)においても、過去最低の35位となっています。そして、欧米諸国や中国・韓国・マレーシアだけでなく、気がつくと遂にタイの後塵(こうじん)を拝する結果となっています。さらに、インドやフィリピンもすぐ後ろに迫っているということに、皆さんはお気付きでしょうか。

      IMD世界競争力年鑑 2023年版(64ヵ国中)

      「政府効率性」と「ビジネス効率性」が低い日本

      ここでIMDの競争力の指標についてもう少し詳しくみてみましょう。まず日本と他のアジア諸国を比較すると、日本は「政府効率性」に加えて「ビジネス効率性」の順位が低いことが分かります(次頁図表3)。政府効率性の順位が悪いのは日本人であれば既に多くの方々が理解していることだと思いますが、なんとビジネス効率性は政府効率性と比べても、さらに低いランクとなっています。ちなみにビジネス効率性は、生産性・効率性、労働市場、金融、経営プラクティス、取り組み・価値観の指標を総合して作成されていますが、いずれの評価項目においても非常に低くなっています(次頁図表4)。日本のビジネスパーソンであれば、「そんなことはないはずだ!」と思われるかもしれませんが、それぞれの評価項目の中身をみてみると、各生産性の低さ、デジタル対応への遅れ、企業の俊敏さや経営者の能力、取締役会の効率性、起業家精神や起業家活動の低さ、グローバル化への対応や社会経済の変革意識など、いずれも日本(企業)が強いとは言えない部分であることが分かります。

      IMD世界競争力年鑑2023年版「総合順位」の内訳(64ヵ国中)

      日本経済の成長期を知る中高年以上の方々にとっては、こうした現実を直視するのはなかなか難しいことかもしれません。もっとも、アジアや世界でご活躍の本誌の読者の皆様は、年々低下していく日本のプレゼンスを肌感覚で理解されていると思います。とは言いつつも、改めてこうしたサーベイの結果を目の当たりにすると、少し残念な気持ちになってしまうのは私だけではないはずです。ですから、こうしたサーベイに拒絶反応を起こす人がいることも理解できますし、講演などでこうした話題が出るとランキングのつくり方がおかしいと怒り出す人もいます。もちろんランキングには、さまざまな問題があることも確かなのですが、同時に多くの指標で日本のプレゼンスが低下していることも確かなのです。日本には日本の良さがあり、日本はそうしたランキングでは数値化することのできないような資源を有した素晴らしい国であることには変わりがありません。ただ、それは他の国も同様で、タイにはタイの良さがありますし、中国にもそれぞれの素晴らしいところがあります。

      IMD世界競争力年鑑2023年版「ビジネス効率性」の内訳(64ヵ国中)

      選ぶ立場から選ばれる立場への転換を受け入れること

      大切なことは、日本の企業や大学が選ぶ立場からアジアから選ばれる立場へと転換しているという現実を謙虚に受け入れる姿勢です。こうした現状を受け入れたうえで、影響力や支配力といったハードパワーのみではなく、選ばれる魅力につながるソフトパワーを磨いていくことが重要となります。これは高度職業人材をめぐる獲得競争のみではなく、現場での労働者やオフィスワーカーそして海外からの出稼ぎ労働者を日本へ受け入れる際にも同様です。日本で働きたいという東南アジア諸国の方々は年々減少しています。経済産業省の資料によると、一般的な部長職の給与は既にタイ企業が日本企業を上回っており、私も参加したリクルートワークスの調査では、管理職となる年齢も日本より10歳ほど若くなっています。先日、ある日系メディアの方々とご一緒しました「はじめてこの話をした8年前には衝撃を受けましたが、今では当たり前になってしまいましたね」と話されていたことが印象的です。いまやニューヨークのフードデリバリーサービスの最低賃金は17.96ドル(2,716円)で、オーストラリアの最低賃金は23.23豪ドル(2,228円)なのに対して、東京は1,113円です。タイ人とベトナム人の日本への旅行者は平均で1日当たり2.2万円消費しますが、日本からタイの旅行者は2.0万円で、ベトナムでは1.9万円です。ASEANの上位中間層人口はこの15年間で約2.6倍の1億8,600万人になっており、富裕層も3倍となっています。日本のビックマックの値段(2.83ドル)でも、2023年には中国(3.56ドル)、タイ(3.5ドル)、そしてベトナム(2.95ドル)にも抜かれてしまいました※2。

      過去の栄光に浸りその頃の自慢ばかりしている人が魅力的でないのと同様に、今現在の日本の現実を直視し、反省すべきは反省して、学ぶべきところは学ぶという当たり前の姿勢が求められます。もはや、過去の日本経済の成功の余韻に浸っている余裕はないのです。

      ※2 藤岡資正『週刊東洋経済』12月2日号の記事を参照下さい(「日本はタイやベトナムより豊かだ」という幻想 スシローも大戸屋も日本で食べるより高い | 最新の週刊東洋経済 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net))。

      イノベーションの担い手としてのスタートアップ

      国際情勢が混沌(こんとん)とする中、グローバル化やデジタル化への対応に加えて経済の新陳代謝の促進などを進めていかなくてはなりません。こうした中、タイでは、「タイランド4.0」、「BCG経済」など、さまざまな産業政策のコンセプトが打ち出されています。現在、タイ政府は先進国入りのためにイノベーション駆動型の経済構造への転換を目指し、掲げている「タイランド4.0」では、タイ王国の国家戦略(2018―2038年)の根幹として「足るを知る経済の哲学」(Philosophy of Sufficiency Economy)を位置付け、基本的な手段としてテクノロジーとイノベーションを捉えています(NESDB, 2018)。イノベーション駆動型経済への鍵は、イノベーション駆動型企業、つまり科学、テクノロジー、イノベーション、創造性を活用して高い成長とビジネスの持続可能性を達成するビジネスの創造にあります。そのため、タイ政府は国内総研究開発支出をGDPの2%まで引き上げ、売り上げ10億バーツ以上のイノベーション駆動型企業を1,000社創出し、また、時価総額10億ドル以上で株式未公開のユニコーン・スタートアップ企業を5社以上創出することを目標としています。さらに、さまざまな分野にわたって創造性と優れた研究を促進する環境を作り出すことを目的とした国家科学技術イノベーション政策局(National Science Technology and Innovation Policy Office)を立ち上げています。

      「タイランド4.0」とは、タイの伝統的な産業をイノベーティブな価値重視の産業に変革することを目的とした包括的な経済モデルであり、東部経済回廊(EEC)や投資委員会(BOI)の奨励金などのさまざまな取り組みはそれを支えるものです。中でもバイオ・循環型・グリーン(BCG)経済モデルは、持続可能でバランスのとれた発展を促進することを目的として、タイ政府が最近最も推進している新しい経済モデルの一つとなっています。

      タイを先導する経済系出身のグローバルな閣僚たち

      最終的な実現可能性は別としても、タイ政府の意図する方向性は、意外といっては失礼ですが、「ロジカル」かつ「戦略的」だと感じられる方は多いのではないでしょうか。それもそのはずで、2000年代以降、タクシン前首相のグループの流れを受け継いだ経済系の閣僚をみてみるといずれもグローバルクラスの高度な専門人材であることが分かります。例えば、ソムキット氏(元副首相で、商務大臣など多くの閣僚経験)、スビット氏(元商務大臣ほか閣僚を歴任)はいずれもノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院で世界的なマーケティング研究者であるフィリップ・コトラー教授のもとで博士号を取得しています。なぜ、ビジネススクールの出身者が閣僚なのだろうと思われる方も多いと思いますが、企業経営者でもあるタクシン前首相は、在職時に国を企業組織に例え、首相を社長、大臣を事業部長として位置付けたうえで、国家戦略を経営戦略に例えました。そして、経営戦略論の大家であるハーバード大学のマイケル・ポーター教授をアドバイザーに据え、チュラロンコン大学サシン経営大学院などと協力して国家戦略を策定しましたが、その際のサシン経営大学院のチームに当時サシンの教員であったスビット前大臣も含まれていました※3。ソムキット前副首相もNIDAの教授を務めていましたし、タクシン派ではないですが、現在のタイ中央銀行総裁のセタプット氏もサシン経営大学院の教員であり、イェール大学の経済学博士、コブサック氏(元首相府大臣)はMIT(マサチューセッツ工科大学)で博士号を取得しています。

      世界が混沌(こんとん)とする中で高度知識人材の登用は当たり前のことだといえますが、例えば、コロナ禍でリーダーシップを発揮したことで知られる台湾デジタル担当大臣のオードリー・タン (唐鳳) 氏のことを覚えている方も多いのではないでしょうか。日本では、IT大臣と紹介されることが多かったようですが、本人は、ITとは機械と機械をつなぐものであり、デジタルは人と人をつなぐものであり、両者は全く異なるものだと訂正を求めたことでも知られています。そして各国のメディアに対しても、デジタル担当大臣としてのビジョンを以下のように説明しています。

      * * *

      When we see “internet of things”,
      let’s make it an internet of beings.

      When we see “virtual reality”,
      let’s make it a shared reality.

      When we see “machine learning”,
      let’s make it collaborative learning.

      When we see “user experience”,
      let’s make it about human experience.

      When we hear “the singularity may be near”,
      let us remember: the plurality is here.

      * * *

      すごく簡潔にポイントをまとめるならば、結局はデジタル化というのは、決してデジタルがそれ自体で単独で進展していくのではなく、デジタルの向こう側には私たち人間がいることを忘れてしまってはならないというメッセージです。こうしたグローバルに通用する高度知識人材は、官僚が作成した政策に基づいて事前に準備をされた原稿を読み上げるのではなく、自らの知識に基づいて自らの言葉で自らの職務を語ることができるのです。

      魅力ある都市の創出:スタートアップエコシステムとイノベーション※4

      ※4 スタートアップに関する議論は、2024年発売予定の藤岡資正「スタートアップの本質とエコシステム」『スタートアップビジネスMBA講座』同文館をご覧ください。

       日本、韓国、台湾など、東アジア諸国は国内資本主導で工業化を推進し、研究開発が国内で行われ、技術が蓄積されてきたのに対して、タイは日本を筆頭に外資の受け入れによって工業化を推進してきたことから、タイ国内での主要な技術の蓄積が不十分であることが指摘されてきました。実はタイ経済は10年ほど前から、労働力増加やインフラなどの資本蓄積による成長が限界に近づいています。このため、イノベーションを促進させるために、研究開発などの知的集約度の高い機能・工程にフォーカスした産業高度化を図ろうとしています。

      それでは、なぜタイにとってイノベーションが大切なのでしょうか。これまでアジアで先進国の仲間入りを果たした国々は、対米全要素生産性(TFP)の割合を向上させてきたということが分かっています。国の経済成長は、生産要素である資本及びおよび労働の増加とTFPの伸びによって説明されることになるのですが、このTFPという指標は、経済成長のうち資本投入と労働投入では説明することのできない残余部分であるといえ、私たち研究者は、TFPをイノベーションの代理指標として用いたりします。つまり、生産性ドリブンの経済構造からの脱却には、イノベーションを通じてTFPを高めることが重要となるのです。こうした中、タイ政府は社会の変革を主導し、急成長していくプロセスで経済構造の転換を促す存在としてスタートアップの支援に力を注いでいます。こうした政策もあり、投資を受けるスタートアップは、金額・案件ともに2012年から2021年の間に4社から57社へと10倍以上に増加しています(図表5)。ちなみに、過去20年間にタイで新しく起業された事業の上位はフィンテック、電子商取引、ビジネスソリューション、ブロックチェーン、教育テックとなっています(図表6)。

      タイにおけるスタートアップ投資件数

      タイにおける産業別スタートアップ投資件数(2001‐2022)

      近年では日本でも社会経済全体でスタートアップに対する期待値が高まっています。スタートアップといえば、「GAFAM」と呼ばれるGoogle、 Apple、Facebook、Amazon、 Microsoftが有名ですが、実際にこれら高成長したスタートアップは、米国の株式市場の成長や新規雇用の創出に大きく貢献しています。例えば、「GAFAM」を除くS&P500指数は過去10年でほとんど横ばいであり、TOPIXとそれほど変わらないことが分かります(図表7)。対照的に「GAFAM」は、この10年で10倍近くに株価を伸ばしています。そして、いうまでもなく新規雇用にも大きく貢献しています。

      日本(TOPIX)と米国(S&P)における直近10年間の株式市場のパフォーマンスの推移*

      それでは日本におけるスタートアップはどうでしょうか。雇用面について設立後年数別の従業員者数の純増減を2009年から2014年までの間でみてみると、設立後0~9年の企業から255万人の従業員数増加が見られる一方で、設立後30年以上の企業からは、258万人の従業員数減少が確認されています(図表8)。身近な例を挙げると、例えばフリマアプリで有名なメルカリ社は2015年から2018年の間に従業員数が329人から1,826人と5.6倍に増加しています(図表9)。スタートアップの成長には、多くの人材が必要であり、それだけ多くの雇用を生み出すということが分かります。このように起業は新たな雇用の創出という面で設立後10年以上の企業と比べて大きく貢献していることが分かります。

      日本企業の設立後年数別従業者数の純増減

      メルカリ社の従業員数と売り上げの推移

      スタートアップ・エコシステム(生態系)を構築

      こうしたスタートアップの育成には、スタートアップ・エコシステム(生態系)を構築することが重要となります。エコシステムとは生物学の用語で、生物とそれを取り巻く環境が生産と消費の循環を通じて、相互作用しながら反映する自然界のシステムを表すものです。ここで重要な視点は、スタートアップの成功は、エコシステムの中で環境を含めたさまざまな要因が協調して組み合わさることで生み出される成果であるということです。つまり、スタートアップを生み出すには、それに適したエコシステムが構築されている必要があるということです。実際にイノベーションを通じて社会経済のパラダイム変革をもたらしてきたスタートアップの誕生は、世界を見渡しても一部の特定の都市(もしくは大都市圏)に偏っていることが分かります。

      高密度で研究機関や企業や専門家が集積する大都市の重要性

      大都市の重要性はこれまでも指摘されてきましたが、その理由の1つが、限られた空間に高密度で研究機関や企業や専門家が集積することで期待される外部経済性です。それぞれのアクターの間での専門知識や技術が共有・共創されることで産業や経済の成長が促進される外部効果は知識や技術のスピルオーバー現象とも呼ばれ、有名なものとしては、マーシャル・アロー・ローマ型の外部性(マーシャル外部性)があります。マーシャル外部性は同業種の同一性の高い産業集積による外部性を説明するものであることはよく知られていますが、ジェイコブス型外部性もイノベーションや創造的な都市の創出には重要となります。ジェーン・ジェイコブスは、名著『アメリカ大都市の死と生』(原著:The Death and Life of Great American Cites)の中で、1950年代のアメリカ諸都市におけるスクラップ・アンド・ビルド型再開発とゾーニングによる都市計画が都市の衰退の要因となったことを指摘しています。彼女は人間的な魅力ある都市の特徴として多様性が不可欠で、多様性は大都市に住む人々の安全や暮らしやすさにとっても重要であり、都市が発展するための条件として図表10の4つが提示されています。

      都市が発展するための条件

      こうした多様性に依存しながら老舗の中小・零細企業が都市に存立可能となり、それ自体さらなる多様性の余地を生み出すことによってより一層多様性が促進されていくことになります。つまり、中小企業の存在そのものが多様性の源泉となると考えられるのです。ジェイコブス型外部性(Jacobs externality)は、異なる業種に属する多様な企業が集まる「都市」という集積がイノベーションにとってインキュベーション的な役割を果たすことを示しています。彼女は、地域特化ではなく最も重要な知識は同種の産業以外からもたらされる「異花受粉効果」(cross-fertilization effect)として、多種多様な産業集積がイノベーションを促進するという多様性の外部経済の可能性を示しています。

      このように、結局は、優秀な人材、創造的な人材、多様な人材や企業が集積するような魅力ある都市を創造していくことが大切になるのですが、そうした人材は文化資源の豊富な場所に集まります。文化資源は老舗、歴史的建造物や庭園、文化的な祭りや食事や芸能、博物館や資料館、大学など研究機関といった豊かな土壌に根差しており、過去と未来をつなぐ模倣困難な資源なのです。農作物においても豊かな土壌を育むには時間がかかりますが、文化的資源を醸成するために大量消費大量生産の工業化システムに組み入れてしまうと、人工的に土地に農薬を大量投下された土地がやせ細ってしまい回復不可能となるように、都市の魅力は減退してしまうことになります。

      日本企業、日本のビジネスパーソンとしての存在意義と魅力とは何か

      情報化技術の進展やロボティクス、そしてAIが世界を席巻する中、日本企業として日本のビジネスパーソンとしての存在意義と魅力とは何なのでしょうか。ネット社会ではすべての商品が情報商品となっていきますが価値共創には必ず現地の生活者との日々の日常での接点(コンタクトゾーン)が必要となります。つまり、市場(マーケット)での交換取引のみではなく、そこに人と人の関係性が構築される場が創出される必要があります。

      古いたとえで恐縮ですが、鉄腕アトムはロボットですが、人間のココロを持つが故に苦しみ悩みを抱えます。ドラえもんも未来では不良品とされるネコ型ロボットですが、私たちと同じように感情をもっています。こうした人間のココロや感情はその一瞬の時々や文脈で移り変わるという意味で捉えどころのないものであると同時にどこか普遍的なところもあります。こうした人間としての温かみやぬくもりを感じることができるビジネスパーソンや技術者の育成をしてきたのが、かつて日本の成長を支えてきた日系企業であったような気がします。アジアを代表する企業家である松下幸之助は、松下電器は何をつくっているところかと尋ねられたら、「松下電器は人をつくるところです。あわせて電気器具もつくっております。こうお答えしなさい」と言っていたそうです。そして「事業は人なり」ということで「物をつくる前に人をつくる」ことが大切で、「単に技術力のある社員や営業力のある社員を育成すればよいというのではなく、自分が携わっている仕事の意義、社会に貢献するという会社の使命をよく自覚し、自主性と責任感旺盛な人材を育成すること、いわば産業人、社会人としての自覚をもった人間を育てることが企業の社会的責務である」と考えていたといわれます。

      インターネットを通じたソーシャルネットワークが世界中に浸透したことによって人々は物理的に離れたところでもリアルタイムで情報交換をすることが可能になりました。このこと自体は良い側面もありますが、リアルの世界と大きく異なることは、バーチャルの空間で自分の世界に閉じこもることが可能となったことで、自由に世界中の人々と開かれた交流していると錯覚をしているだけで、実はネット空間では自分と価値観を共有している人たちのみでのより閉鎖的な交流となる傾向があります。そのため異なる価値観や意見を有したコミュニティー間での建設的な交流が行われることが少ないという指摘もあります。日本企業はグループ内の結束は高いが、外とのつながりが弱いという指摘はこれまでもなされてきました。一方で、変化への対応が強くイノベーションが起こりやすいのは、コミュニティー間での強い結びつきではなく、弱い結びつきであることも指摘されています※6。いずれにしても、こうした分断されたコミュニティーを越えて人々を結びつける「接着剤」の役割を果たすのが理念やビジョンといった目的であり、これらを多様な価値観を有する人が集まる空間で共有するための場の創出をどのようにして企業が担うことができるのかが大切になります。製造業も労働集約型から資本集約型そして知識集約型に移行しつつありますが、サービス業も肉体労働から感情労働へと移っていくのかもしれません。

      ※6  社会学者のグラノベッター(1973)は、これを「弱い結びつきの強さ」と呼んでいます。

       企業の製品・サービスの差別化が十分に行われていない競争環境では、顧客は最終的に値段(価格)で購買の決定をすることになります。ただし、このように顧客が購買理由を価格に帰属させるようになると企業の戦略的ポジショニングは脆弱化していくことになります。そうした事態を避けて顧客との価格以外の接点を構築するには、価格以外のものに購買理由を帰属させるために市場へ関係性を導入する必要があります。関係性の構築には人間性が求められ、ロボットやAIには代替されることのない人間としての判断の重要性が高まってくるのではないかと思います。優れたソフトウェアとコンピューターがあれば計算することができる意思決定では代替不可能な実践、つまり数字や文字では表すことのできない自らの「心」で感じることのできる主観を伴う判断が大切になるのです。

      最終的には「ハッピー」であること

      いずれにしても、日進月歩で進んでいく技術はそれそのものでは価値を生み出さないため、新たな技術を用いて何を成し遂げたいとかという目的が必要になります。つまり事業の目的、人生の目的や志がなくてはなりません。あらゆる技術はハイテクであると同時に、ハイタッチでなくてはなりませんし、何よりそれを用いる人間がそうした技術を管理することができなくてはならないのであって、最終的には世の中がハッピーにならなくてはならないのです。

      寄稿者プロフィール

      チュラロンコン大学
      サシン経営大学院日本センター所長
      明治大学専門職大学院教授

      • 藤岡 資正 プロフィール写真
      • Professor Takamasa Fujioka, PhD. 藤岡 資正

        英オックスフォード大学より経営哲学博士・経営学修士(会計学優等)。チュラロンコン大学サシン経営大学院エグゼクティブ・ディレクター兼MBA専攻長、ケロッグ経営大学院客員研究員などを経て現職。NUCBビジネススクール、早稲田ビジネススクール客員教授。神姫バス(株)社外取締役、アジア市場経済学会会長、富山文化財団監事などを兼任。

      サシン経営大学院
      チュラロンコン大学サシン経営大学院
      1982年設立。提供される学位の多くがケロッグ経営大学院とのジョイントディグリーである点が特徴的で、特にマーケティングとファイナンスの分野に強みを持っている。MBA、EMBA、HRM、HRMディプロマ、PhDなどの学位プログラムを有しており、正規生として毎年約700名が在籍している。
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