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なぜタイ人は日系企業を辞めるのか?

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       日系企業から競合に人材が引き抜かれている――。そんな話を頻繁に耳にするようになった。ジョブホッピング社会と言われ、もともと日本よりも転職しやすいと言われるタイだが、近年起こっている離職はこれまでとは異質のものだ。日系企業はこの事態をどのように捉えて、どう対策を打てばよいのだろうか。「タイでの変革は、むしろ日本を変える絶好のチャンスでもある」。そう語るのは東南アジア拠点の人事コンサルティングファームAsian Identityの中村勝裕氏だ。同氏に今タイで起こっている問題の紐解きと、打開策について解説いただいた。

      タイを失うと日本企業は負ける

      「タイは日系企業にとっての203高地だ」。これは以前、私がタイで働き始めたころ、とある先輩ビジネスマンが発した言葉である。ご存じの方も多いと思うが、203高地とは日露戦争の旅順争奪戦における激戦の場となった場所の名称だ。この地を攻略する否かで以降の戦局が大きく変わる、まさにキーポイントであった。そんなかつての戦争における最重要地点になぞらえて、いかにタイという場所が日本にとって重要な国であるかをその先輩は表現したのだった。

      筆者がタイに関わってビジネスをするようになったのは2013年。10年ほど前である。当時から「トップ大学の学生が日系企業に入社したがらない」という傾向はすでに始まっていた。これは何とかしなければという想いでタイで会社を立ち上げて、リーダー育成、人事コンサルティングの仕事をしてきた。そんな中、クーデター、国王崩御、コロナなどが起こった激動の10年を通じて、タイの政治経済は大きく変わり、そしてまた日系企業の位置付けはさらに大きく変わった。

      海外からタイへの直接投資額(JETRO統計)は、2014年時点では日本が1,819億バーツと投資全体の37.6%を占めていた。ところがそれ以降、17年は897億バーツ(同39.5%)、20年は643億バーツ(同25.5%)と徐々に減少傾向にある。その間、中国は14年時点の382億バーツ(同7.9%)から、20年時点では558億バーツ(同22.1%)と伸びを見せており、日本と肩を並べる存在感になってきている。中核となる自動車産業においてもBEV(バッテリーEV車)が23年1~8月時点で4万3千台販売されており、その大半が中華系メーカーである。国内販売台数が年間70~80万台のタイにおいてEVは既に一定のポジションを得つつあると捉えるべき状況である。全方位外交に長けたタイ政府の後押しもあり、24年には年間15万台の生産を予定するBYD社の工場が稼働予定となっている。今後もタイにおける日系企業と中華系企業の争いは激しくなるだろう。

      外国資本によるタイへの直接投資 上位5ヵ国(認可ベース)

      人口7,160万人とASEANの中では中位に位置するタイではあるが、一方で日系企業の拠点数では「5,856社」と中国、アメリカに次いで世界三位のポジションに位置する(外務省統計、2021年)。加えて分厚いサプライチェーンを持ちメコン地域やインドへの橋頭保として、タイには単体の経済規模以上の重要度がある。冒頭の「203高地」の意味はそんなところにもあり、依然として日本経済にとって重要な意味を持つ国と考えるべきだ。ユニクロやスシローの躍進などサービス業での明るい話題が多い一方で、日系企業の大多数を占める製造業では人材の引き留めに苦慮している。いったい何が起こっているのだろうか。

      WP取得者の推移(日・中)

      日系企業が「人材の草刈り場」になる

      伝統的に日本企業は「ヒトで勝つ」ということを最大の強みとしてきた。かつて松下幸之助は「松下電器は人をつくっています。電気製品もつくっていますが、その前にまず人をつくっているのです。」という言葉を残した。1929年の世界恐慌が起こった際、松下幸之助は「当社は一人の首も切らない。その代わり全員で営業して在庫を売りさばこう」と指示を出し、経営危機を乗り切った。この松下電器の姿勢が昭和の企業経営のロールモデルとなり、終身雇用と年功序列をベースとしたいわゆる「大家族経営」が日本中に広がって行った。こうした伝統的な仕組みは、バブル崩壊以降は逆に成長の足かせとなり、様々な人事改革が行われてきた。令和の今現在も、「メンバーシップ型組織からジョブ型組織へ」という掛け声のもと、改革は進行中である。

      一方、タイ現地法人はどうであろうか。日系製造業の進出が加速したのは1985年のプラザ合意以降であり、90年代に進出した企業が多い。労働市場はジョブ型である一方、集団主義の国民性のタイはメンバーシップ型組織と相性が良く、日系企業の経営は比較的うまく機能した。しかしその後30年以上が経つが、進出当時の古い仕組みが残ったままのケースが多々見られる。例えば人事評価一つとっても、私がタイ現地法人にお邪魔すると、日本ではもう長年見かけないような評価シートが残っていて驚くこともある。これは無理もないことである。人事の仕組みを改革するには適切な知見と十分な時間が必要である。タイに赴任する駐在員は製造、経理、営業出身の人材が多く、人事の経験を直接的に持っている人は多くない。また、一般に制度改革は「最低でも3年かかる」と言われ、社員の反発を受け止めながら、強い意志とリーダーシップで改革を行う必要がある。それは限られた任期の中でリスクを取って取り組みづらいテーマである。

      タイの電気自動車市場

      このような事情により日系企業の変革スピードは遅れ、「体質が古い」とタイ人から思われている。タイ人材の「日系企業離れ」はこのような「日系企業のマネジメント変革の遅れ」に加えて、「中華系企業・タイ系企業の台頭」、そして「コロナによる従業員の意識変化」などが複合的に絡んで加速しているのである。

      ある中国人ビジネスパーソンは、私に向かって「中国の企業はどんどん日系企業から優秀なタイ人スタッフを遠慮なく引き抜いていきますよ」と面と向かって言い放った。日系企業の社員はよく教育され、規律が高く、そして給与が安い。彼らが日系企業の社員を狙うことは想像に難くない。いち日本人として、それは起こしてはならないと感じる。ここから先の5年が勝負である。

      本特集は、過渡期にあるタイの日系企業で、主に「人事・組織」の観点からいま何が起きているのかをより具体的に明らかにし、処方箋を見出すためのものである。第一部では、「タイ駐在員座談会」の議事録をもとに、いまタイ組織で起こっていることをリアルにレポートする。第二部では、長年タイに関わる識者のコメントをもとにしながら「突破口」を考察してみたい。最後に第三部では課題を整理するとともに、「強みをどう生かすか」という視点から今後に向けた提言をまとめてみたい。

      タイの国内自動車販売台数

      今、日系企業の組織で何が起きているのか?

      タイ組織で起こっている実態を把握するために、製造業管理部の3人の日本人駐在員の方々と覆面座談会を開催してみた。
      以下、象徴的なコメント、および筆者のコメントを交えながらお届けする。

      最近、若手タイ人の離職が多いと聞きますが、皆さんの会社ではどうでしょうか。

      A氏:若手のタイ人スタッフがポジションアップを待てなくなっている傾向が強いです。何ができたら昇格するのかがはっきりしていないので、キャリアパスが見えづらい現状があります。技術系の会社なので2、3年で大きな仕事を任せるのは難しいのですが、一方で「教育」と称して雑用をやらせているだけのケースも多くあり、優秀な若手が1年も経たずに辞めていくことも起こっています。弊社では今、キャリアパスの明確化を進めています。

      B氏:最近の若者は、日本企業に勤めていることが自慢にならないので、Facebookの勤務先をあまり書かないみたいです。ファシリティが古い場所も多く、SNS映えもしない。誰もが知るブランドやクールなスタートアップに勤めて、そこの写真をアップすることが重要ですからね。当社も工場のリノベーションをして少なくとも綺麗で快適なオフィスにするよう今掛け合っていますが、簡単には投資許可は下りません。

      C氏:やはり給与が課題です。日系企業との比較ではそこそこの水準でも、外資系企業とは大きな差がついています。うちは基本給が低くても様々な手当てが付いているので総合的にみるとタイ企業、欧米企業と遜色なかったりもするのですが、タイ人からは手当てと基本給は別と見られてしまう。また、長期勤続が前提の制度になっていて退職給付の部分がやたら手厚くなっているのですが、20年前ならともかく今はそんなに長く働くつもりで勤務していませんから、お金を有効活用できていないと感じます。日本との比較ではなく、現地で競争力あるベース給与の設定が急務です。

      A氏マンネリ化が原因で辞めていくことも多いですね。うちは日本では大手企業で数千人の従業員がいても、タイは200人程度と中小企業の組織規模です。そうすると同じ仕事をずっと担当することになり、組織もタコツボ化しやすい。ジョブローテーションを嫌がるので日本のように異動で目先を変えることも難しい。

      非効率さに失望して辞めていく中堅社員

      それでは、中堅社員や管理職の方はどうだろうか。

      B氏:残念ながら、優秀な中堅社員も退職していきます。今残っている人は、良くも悪くも安定志向のおとなしい人。日系企業は“責任を求められないのが魅力”と思われているフシがあります。
      C氏:先日も優秀な人材が一人退職しました。理由は“日系はスピードが遅い”ということでした。タイ企業を相手にしたビジネスでは即断即決が求められますが、弊社では現地で決済できる金額がかなり低く、日本からの承認プロセスを経る必要があります。日本人駐在員ですら決定権はありません。本社への申請書類の差し戻しが4回、5回にわたることもあり、タイ人スタッフも疲弊しやる気を失います。本当はもっと現地で決めた方がよいこともあると思うのですが、過去慣性でそうなっている現状があります。

      A氏:中途で人材補強を図るのですが、優秀な候補者ほど、期待成果と権限について質問してきます。外資系企業ではポジションごとに予算権限も明確になっていますが、弊社ではそのような仕組みが無いので、候補者が納得できる説明を用意できず逃げられてしまいます。

      B氏:MD(社長)が3年に一回程度変わりますが、そのタイミングでローカルスタッフも辞めます。せっかく良いMDが組織を前向きに変革したのに、新たに赴任したMDが物足りないと、タイ人スタッフはさっさと見切りをつけます。優秀なタイ人は社外に人脈もありお誘いもあるので、そちらに移ることはそんなに難しくありません。

      昔の日本人はもっと優秀だった

      必死で頑張っても報われない日本人駐在員

      ここまでの会話から、タイ人社員の退職理由は「キャリアパス」「給与」「意思決定スピード」「上司」であることがわかる。こうした問題はもともと存在していたが、タイ企業や中華系企業など魅力的な転職先が以前に比べて増えたこと、そしてコロナを引き金にして会社と従業員の距離感が生まれたことが相まって退職に繋がるケースが増加している。
      それでも、「タイ人は人につく」と言われるように魅力的なリーダーがいれば忠誠心高く仕事をしてくれる。日本人リーダーについては、どのような課題があるだろうか。

      B氏:以前いたMDの話です。直下にいる駐在日本人と話すだけで、タイ人マネージャー陣と全く話そうとしない。雑談もしないし、仕事の情報収集もしない。困った時に、通訳を通じて報告を求めるだけ。そんな姿勢なのでタイ人からMDに対する信頼は全く無かった。日本では優秀だった方が赴任しても、海外で求められるマネジメントの質と合っていないということがあります。特に課題は50歳以上で、日本が絶好調だった時のマインドで仕事をする人が失敗しやすい。あまりにひどい赴任者は帰国させられるのでPDCAは回っていますが、全体としてはまだまだです。

      C氏:スキル面では、ローカルスタッフへのフィードバックの仕方が下手です。「なぜ、なぜ」と追求するばかりでモチベーションを下げてしまう。あるいは摩擦を恐れてフィードバックを適当にしてまい、実際の評価の際の評価ギャップが起こり辞めてしまうということが起きます。英語でのフィードバックは難しいですが、言語力よりもヒューマンスキルが課題だと感じます。

      A氏:若手駐在員では、タイ人の能力との逆転現象も起こり始めています。よく“昔の日本人はもっと優秀だった”とタイ人は言います。20年以上現場経験を積んできたタイ人の上に若手日本人が上司として赴任したり、何もできないトレーナーを送り込まれてタイ側が困惑するということもあります。この人にはどういうスキルがあって、どういう役割を担うために来ているのか。優秀なタイ人ほどそれを質問してきて、答えに窮することがあります。

      C氏:駐在員もコロナで人数が減り仕事が増えて、必死で仕事をしながらも報われない気持ちを持っています。懸命に海外拠点を立て直し、業績を上げて日本に帰ったら、何事も無かったように元の日本の課長ポジションを提示されて、失望して転職していった人がいます。タイでは経営者として振舞わないといけない一方で、日本との会議になるとミドルか、下手したら若手扱いされる。こうした板挟みに苦しんでいる人が多いです。

      A氏:そもそも海外駐在員の希望者が減っています。日本でサーベイを取ると「今は考えられない」という回答が多い。そのため、必ずしも適性が無い人を送り込むか、あるいは赴任期間を短くして送り込まざるを得ない。若手に“興味ない?”と聞くんですがあまり色よい返事が無いんですよね。採用段階から希望者が少ないので日本全体の課題だと感じます。日本企業がこれからも海外でお金を稼いでいかないといけない現状と逆行しています。

      依然大きい「本社と現地の意識ギャップ」

      駐在員も悩みを抱えながら懸命にマネジメントをしている。一方で、海外拠点と本社のコミュニケーションにもどかしさを覚えることも多そうだ。そこで、本社と現地の関係性についても聞いてみた。

      B氏:本社は現地のことがわからないから情報収集のために報告を求めるのですが、その業務に追われ続けるという部分があります。とりあえずデータを集めて提出してもそれが使われないことも多く、もう少し現地で稼ぐための仕事に時間を使わせてほしいという想いがあります。

      A氏:“本社で働き方改革をしたので、タイでもやれ”など、現地の文化も法律も風習もわからないままに一方的な提案をされると戸惑います。特に、海外のことをわかっている風の役員はより手ごわくて「俺がいたときはこうだった」という論調で命令が降りてくる。ですが、かつてのタイと今のタイは全然違いますし、日系企業のポジションも全く違います。時代は大きく変わっているのですが、日本にいると変化を感じ取りづらいと思います。

      C氏:とにかく稟議がネックです。稟議が必要な申請基準の金額が引き下げられました。タイのMDでも“なんでこの程度の決裁権限しか持ってないの?”という金額です。これまで現地側の権限でやれていたことが、本社への稟議が必要になってしまい大きく意思決定がスピードダウンします。英語で稟議書を上げたらダメ、と言われるので稟議の仕事は日本人しかできません。正直、稟議書を書かせるという非効率な仕事をローカルスタッフにやらせたくはない。なので日本人が頑張って巻き取っているんです。

      B氏:駐在員の中には“本社の言うことを聞かない勇気”と言っている人もいます。現地でお金を稼ぎ、優秀な現地スタッフを繋ぎとめるためにはそういう意識も時に大切です。本社に嫌われても良いから、その代わり最高の利益という形で結果を出す。その事業会社は実際に良くなっていますが、そういう人はそれ以上偉くなることは無いんですよね。

      A氏:私は本社にもいたので少し本社側の立場にも立つと、現地法人がいい加減な経営をしていた過去もかなりあったんです。特に、現地側でちょっと勉強すればわかるような法規制を理解せず経営して問題になったとか、しっかりしろよと思うこともあった。「俺は営業しかわからないから、細かいところは本社で面倒見てよ」という意識のMDもいます。
      一つの現地法人でそう言うことがあると、本社の関与を強めざるを得なくなるんです。基本は、現地が主体性と責任をもって取り組み、本社は支援する立場。そういう関係性が理想です。

      すでに日本人よりも東南アジアの人材の方が優秀なことも少なくありません

      「日本が正しい」という幻想からの脱却

      最後に、優先的に変革すべきはどのような領域なのか、考えを聞いてみた。

      A氏駐在員制度の変革です。マネジメントポジションとして赴任するのはNo.1、No.2程度に限る、あるいは特殊な技術を対応する人に限るべきです。残りのマネジメントはローカルに委ねる。「タイではこうなんです」というのを説明する役回りは日本人しか担うことはできないので、若い人はジャパンデスク的な役割を担ってもらいながら経験を積んでもらう。赴任の条件は、肩書や年数ではなく、能力と適性でアサインを決めるべきです。そして、どういうミッションを持って送り込むのかをもっと明確にすることが必要だと思います。赴任者の給与も日本の給与に手当をつけるのではなく、海外拠点のジョブに対する給与に設定するべきです。

      B氏タイにおける人事制度の改革です。給与制度は、本気で変えようと思えば変えられます。賞与の月数を変えれば総額は変わらないのでベース給与を上げられます。「家族手当」などライフスタイルに応じた手当は、基本給に含めて「手当なし」にするのが、ダイバーシティの原則にもマッチします。つまりパフォーマンスベースの給与に揃えるということです。また、退職面談などを聞いていると、問題は給与額そのものよりも、基準のあいまいさやフィードバックの無さにあります。そうした制度全体の整備が必要です。

      C氏責任と権限の見直しです。本社から現地法人に求めているミッションは何かを明確にし、決裁権限を事業部と現地法人の間で交渉する。どこまでを管理してどこまでを任せるかの線引きを決めて、そこから先は任せることで現地側も主体的になれます。その前提としては、「日本が正しい」という考え方からの脱却も必要だと思います。すでに日本人よりも東南アジアの人材の方が優秀なことも少なくありません。何かあったら日本人が出てきて日本基準で決めてしまうという習慣を辞めないと、現地人から愛想を尽かされてしまいます。ローカルスタッフからむしろ学ぶという姿勢を持たないとますます苦しくなるのではないでしょうか。

      今後の“突破口”はどこにあるのか

      座談会から、日系企業で起こっている問題の輪郭が見えてきた。ここからは、もう少し議論を発展させてチャンスはどこにあるのかを考えていきたい。日本企業にはまだまだ底力はあるし、タイ人からもリスペクトもされている。タイで長く日系企業や日本人を見ている識者とのディスカッションを通じて、「突破口」はどこにあるのかを探ってみたい。

      「柔軟性」でタイ人スタッフを惹きつける

      まず最初は、30年以上にわたってタイ社会、およびタイの日系企業を見てきたパーソネルコンサルタントの小田原靖氏に、日系企業を取り巻く変化について聞いてみた。

      「90年代、2000年代のタイは、良い会社、イコール日系企業でした。今は日系企業だけが良い会社ではなく、タイ企業にも良い会社が十分にあります。そんな中で、雇用条件が日系企業よりも良いタイの会社も沢山あり、優秀な人を日系企業が採用する事が難しくなってきています」   小田原氏が言うように、タイの歴史の中で、90年代以降でタイ人材を育ててきたのは日系企業であることは間違いない。だが、そんな彼らがそのまま日系企業の経営を担うケースは多くなく、自分で独立して商社や部品企業を経営している。

      日系企業の幹部に上り詰めるには、日本本社との調整ができたり、または日本語が高いレベルでできないと難しい。タイは良くも悪くも日本語人材が豊富なので、逆に日系企業における英語化はあまり進んでいない。いまだにタイ人からは「日本語が出来ないと偉くなれない」と思われている企業が多いのが事実だ。ではタイ人から選ばれる魅力的な会社づくりはどうしたらできるのだろうか。

      「今は日系かタイ系かに関係なく“いい会社”だから選ばれる時代です。日系企業は“こうでなくてはいけない”というルールや思い込みが強すぎる傾向があります。例えばコロナの時期に増えたワーク・フロム・ホームでは、企業の考え方によって対応が分かれました。日本人の方針を押し付けず、タイ人の意見を聞きながら柔軟に制度設計をした会社はうまくやっています」

      小田原氏の言う「柔軟性」は多くの企業でキーワードになりそうだ。座談会の中でも、過去慣性で判断したり、旧来の価値観を押し付ける日本人の下にいるタイ人は辞めていくという話が出た。反対に、状況を踏まえて自分自身の思考をアップデートできるようなリーダーは、タイ人の心を掴み続けることができるのではないだろうか。

      パーソネルコンサルタント 代表取締役社長 小田原 靖 氏
      パーソネルコンサルタント
      代表取締役社長 小田原 靖 氏

      日本企業のアセットを生かして「新しいこと」で稼ぐ

      リブ・コンサルティング・タイランドの香月義嗣氏はタイで日系・非日系問わず多くの企業コンサルティングを行っている。同氏は著書『成功のメカニズム アジア進出企業の経営』の中で、アジアにおける日系企業の問題点と解決策を指摘した。タイにおいてはどのような打開策を取るべきなのだろうか。

      「タイの日系企業、特に製造業は事業のトランスフォーム(転換)をしないと厳しくなっています。今の業績は良くても、何か新しいことをやらないと10年後は厳しくなります。危機感を持つべき状況ですが、日本人だけでなくタイ人も危機感が薄い会社も少なくない。むしろタイ企業の方が危機感を持って新たなチャレンジをしている傾向もあり、そうしたスピリットからむしろ日系企業も学ぶべきでしょう。そうでないと挑戦したい人材はタイ企業に流れてしまいます」

      新規事業創造」というのは多くの日本企業の課題だ。タイに限らず日本でも新事業を生み出すことはなかなかできていない。タイで新事業を生み出すにはどのような視点が必要なのだろうか。

      「安定的な拠点運営が求められてきたタイにおいては、事業開発などの“複雑な問題”を解いたことのあるマネージャーが少ないです。だからこそ、期待できる人材を選抜して鍛えていく必要があります。そうした「事業開発人材」を育成し、既存事業の延長線上ではなく思い切ったチャンレンジを考えるべきです。幸い、日本企業にはまだアセットがあります。高い技術、顧客資産、そしてタイに長く貢献してきた信頼性です。それを生かしてどういうビジネスができるのかを、タイ人スタッフとともに考えていくことです」

      人材管理面で様々な問題が噴出しているのは、単純に「昔よりも儲からなくなったから」という面も大きい。身も蓋もない話だが、経営に余裕が無くなればコスト管理も厳しくなり、人材投資もしづらくなる。そして香月氏が指摘するように「タイ拠点でいかに稼ぐか」を考えたことがあるタイ人社員は必ずしも多くない。「稼ぐ力」は一朝一夕には高まらないからこそ、まだ資産があるうちに様々なビジネスを試行錯誤するという視点から学ぶべきことは多い。

      リブ・コンサルティング・タイランド 香月 義嗣 氏
      リブ・コンサルティング・タイランド
      香月 義嗣 氏

      タイ人とのパイプを作らずしてタイでは生き残れない

      タイと日本を繋ぐプラットフォーム「TJRI」を運営するmeditorのCEO、ガンタトーン氏は最も日本に精通するタイ人の一人だ。長年にわたって日系企業を見てきて、最近の変化をどうとらえているのだろうか。

      「残念ながら日系企業に優秀な人材が集まりにくくなっています。そんな中で、能力の足りないタイ人を無理やり幹部に据えて「現地化」するのはリスクがあります。日系企業にいる人材のレベルがどの程度なのかを知るためにも、普段から社外のタイ人とも付き合う必要があると思います。「タイ人はダメだ」と言う日本人もいますが、そういう人に限って自分の周りのタイ人のレベルが低いだけということもあるのではないでしょうか」

      タイは巨大な日本人社会があるがゆえに、日本人同士でビジネスが完結する歴史を長らく過ごしてきた。閉じた社会というのは、得てして知らない間に“ガラパゴス化”が進み、周りとの差がついているということが起こりうる。日系社会をもう一度外に向けて「開いて」行くことが重要なのは間違いない。また、ガンタトーン氏は、日系企業についてこんな言葉もくれた。我々日本人ひとりひとりが噛みしめるべきフィードバックだろう。

      「日本人の能力はCTO(最高技術責任者)、CFO(最高財務責任者)には向いています。ですが、果たしてCEO(最高経営責任者)としてはどうでしょうか。東芝やシャープは中国や台湾の経営者によって黒字化しました。厳しい言い方ですが、日本人は合意志向で周囲に配慮しすぎて、経営者としての合理的な意思決定力に欠ける面があるのではないでしょうか。優秀なモノづくり力を武器に、経営は外国人に任せる、またはパートナーとして一緒に経営していくという選択肢もあっても良い。100%独資経営は一見するとラクに経営ができますが、一方で時代の変化に合った経営判断に必要な情報を持っているタイ人とのパイプが無くなってしまい、ネットワークが日系に閉じてしまうというデメリットもあります」

      meditor CEO ガンタトーン・ワンナワス 氏
      mediator CEO
      ガンタトーン・ワンナワス 氏

      日本人の「精神性」は多くのタイ人経営者が学びたがっている

      チュラロンコン大学で教鞭をとるクリッティニー・ポンタラナート氏は、国内トップブロガーであり「理念」「生きがい」などのコンセプトをタイに紹介するインフルエンサーだ。彼女に、タイの企業と日本の企業の現在をどう見るかについて聞いてみた。

      「製造業が人気が無いのは日系企業だけではなく、タイ企業も同じです。全体的にホワイトカラーにタイ人が流れているので、タイ企業の工場にいってもミャンマー人、ラオス人が多いですね。大学で一番優秀な子はスタートアップや、IT系の企業に行きます。SNSで友達に見せびらかせるし、履歴書に書いたら自分の価値が上がりますから。ただしどんな業種であっても、タイ人は仲間との関係性、家族のように仲良く過ごせる雰囲気が大事です。日系企業の中でも、タイ人のことを良く理解する日本人が経営している会社はタイ人が定着していますよ。逆に、タイ人のことをよくわからずに一方的に叱責してしまう会社はタイ人が辞めます。日本人は求める経営品質が高いのでもどかしいのかもしれませんが、“なぜできないのか”と問い詰めるのではなく“一緒に考える”という姿勢で臨んでほしいです」
      確かに、タイ人に寄り添う姿勢を持って成功してきた日系企業はたくさんある。そうした元々持っている良さを忘れてはいけないだろう。そのうえで、クリッティニー氏は日本の「魅力」をもっと武器にするべきと提案する。

      「コロナ以降、日本語の“生きがい(IKIGAI)”というコンセプトが凄く人気になり、沢山の経営者が学びに来ます。みんなお金だけではなく、仕事に意味を求め始めたのです。日本人が仕事のやりがいを大切にするのと同じですよ。また、私は多くのタイのオーナー企業から日本の“おもてなし”を始めとするサービス品質を学んで、経営に取り入れたいという相談をもらいます。日本人の持っている細やかさ、効率の高さなどは、今もタイ人からは魅力があるんです。それらの経営的価値をタイ人社員にもっと伝えたり、日本への研修旅行を通じて体験から学んでもらったり、というのは日本企業がまだまだできることじゃないでしょうか」
      チュラロンコン大学 ティニー・ポンタラナート 氏
      チュラロンコン大学
      クリッティニー・ポンタラナート 氏

      クリッティニー氏とお話ししていて、日本人ではなくタイ人が日本の魅力をタイ人に伝えてくれていることに、複雑な気持ちになった。確かに、日本人は自分たちの魅力を自分たちで語ることがあまり得意でない面もある。しかし、今一度自分たちの魅力に目を向け、それを自社のビジョンや事業価値に込めてタイ人に伝えていくことは、今すぐにでもできることなのではないかと感じた。

      以上、ディスカッションさせていただいた4名はそれぞれに日本企業の「突破口」への示唆を示してくれた。四者四様の視点ではあったが、共通していることは「健全な危機感を持つこと」、そして「日本企業の良さを生かす」ということであったように感じる。

      それらのアドバイスを踏まえながら、第3部において日系企業が取り組むべきアジェンダについてまとめてみたい。

      これからのタイ人事戦略の「5つのアジェンダ」

      第3部では、「日本企業の強みを生かす」という視点から「5つのアジェンダ」を提言する。しかしその前に、前提として「現地化の是非」について考えてみたい。というのも、長年にわたって議論されている「現地化経営」について私は疑問を持っているからだ。

      「現地化」は本当に必要なのか?

      日系企業は現地化経営、中でも「人材の現地化」を長年の課題としてきた。それは主に①駐在員コストの抑制、②タイ人キャリアパスの確保、③現地マーケットの開拓の3つの理由を目的としてきたが、それぞれの事情が現在変わりつつある。

      ①駐在員コストの抑制

      駐在員コストの抑制については、駐在員の人数そのものが既に減りつつある。タイにおけるワークパーミット(労働許可証)の発行数はピーク時の2017年の3万6千人から、23年7月時点で2万4千人と33%減少している。以前よりも少ない日本人の人数でタイ拠点が運営されるようになっているのだ。また、タイ人の上級管理職の給与の高騰から、部長クラスになると日本よりタイの方が収入が高いという統計もある。家族帯同コストなども含めれば駐在員のコストの方がまだ高いが、現地化することによるコスト削減メリットは以前に比べ薄れつつあると言える。

      ②キャリアパスの確保

      キャリアパスの確保については、座談会でも語られたように、現地法人の幹部人材は一部の例外を除き「日本人」であってもよいと私は考える。その理由の一つは、日本本社の多国籍化と英語化が進まない中、本社と連携しながら経営トップを担えるローカル人材は極めて希少であり、いたとしても駐在員に近いコストがかかるということである。

      もう一つの理由は、タイ拠点が安定的な量産拠点の期待があった時代ならばともかく、今は現地で戦略を描きなおし、新たなビジネスモデルを模索する時代に入っているからである。さらに、競争相手は強いオーナーシップを持ちスピーディな意思決定をする中華系企業やタイ企業となっている。そんな勝負に勝っていくためには、本社と緊密に連携して意思決定できる優秀な人材を、むしろ日本から送り込んで戦わないといけないのではないだろうか。

      ③現地マーケットの開拓

      一方、現地マーケットの開拓については、現地人しか担えない部分である。それゆえ食品や日用品などの消費財メーカーなどはいち早く組織の現地化が進んでおり、それ以外の業種でも営業やマーケティングの責任者の現地化は比較的進んでいる。こうした「現地で稼ぐ」機能の現地化は引き続き必要である。しかし、製造・開発や経理機能、また経営トップについては、上述の理由で「現地化」という命題を目指す理由が薄れつつあるのではないかと私は考えている。あくまで自社にとって、現地化した方がなぜ合理的なのかを考えて判断していくべきであろう。

      ではここから先は、具体的な提言をしていきたい。

      提言1:新しい日本人リーダー像を作る(シン・日本人)

      まず、経営を担う日本人リーダーの質が大きく変わる必要がある。スイスのビジネススクールである国際経営開発研究所(IMD)が発表した「世界人材ランキング2023」では、日本人リーダーのレベルは64ヵ国中過去最低の43位という結果だった。座談会で語られたような旧態依然としたリーダーではなく、タイ人に向けて力強いメッセージを発することが出来る「新しい日本人リーダー像」を作っていくことが必須である。これを「シン・日本人」と呼んでみたい。

      下図は、多くの企業で用いられているグローバル・リーダーに求められるコンピテンシー(行動特性)である。一般的なものを8つ並べているが、下の4つがこれまでの駐在員に求められていた「安定型」のコンピテンシーであるのに対し、上の4つが現在の弱みであり、今後強化していくべき「変革型」のコンピテンシーだ。
      同調圧力の強い日本社会では、「変革型」のコンピテンシーを持った人材は浮いてしまう。だが、海外拠点ではむしろ「異端児」こそ求められる。現在の変革期においては異端児のリーダーこそ積極的に抜擢し、「シン・日本人」として海外に送り込むべきだろう。

      弊社がインタビューさせていただくと「駐在員の選定基準が明確でない」という企業が少なくない。5-8のコンピテンシーが大きく欠落していない前提で、1-4の素養を持っている人材を意図的に海外に送り込み、活躍を支援していくべきなのではないだろうか。そして、駐在員交代のタイミングがリスクとなる現実を踏まえ、素養のある人材は任期を長くして送り込むことがあっても良い。筆者の観察では、任期の長い会社ほど現地経営がうまく行っているように見えるからだ。

      また、「現地採用日本人」の可能性の広がりも考えたい。昔は東南アジアで現地採用というと日本のキャリアをドロップアウトした人という偏見を持たれていたが、今は全く違う。若手~中堅で自らの判断で海外に挑戦する日本人は、むしろ優秀層である。そもそも、昭和の日本を切り開いた経営者達はエリートではなく、ベンチャーマインドを持った若者たちだった。
      今アジアに自らの判断で飛び込んでいる若者はそれに近いスピリットを持っているのではないか。海外駐在の希望者が減っている時代だからこそ、現地採用社員の積極的な活用を検討したい。

      提言2:会社の存在意義(ミッション)を語る

      提言1のコンピテンシー「1.ストーリーを語る力」とも関係するが、「当社の存在意義(ミッション)は何か」を再定義し、語ることが重要である。

      かつて日本企業が憧れの的だった頃は、わざわざ自社の存在意義を語る必要は無かった。しかし状況が変わった今、それを意識的に語っていくことが必要である。ミッションが明確になれば、従業員は、日々の仕事で顧客や社会に役に立っている実感を得ることが出来る。上述したようにタイ人も「生きがい」「やりがい」を求めているのである。

      タイ拠点の日本人リーダーは、「うちの仕事はこんなに面白いんだ!」と自信を持って語ることが出来ているだろうか。普段はわざわざそんな話はしないかもしれない。しかし、年間方針の発表など重要なコミュニケーション機会を用いて、意図的に語っていくべきだ。一見華々しく見える別業界や、高給をちらつかせる競合企業に人材を奪われないように、タイ人を惹きつけ続ける意識を持ちたい。
      とはいえ、どういう言葉で語ればよいのだろうか。ヒントとして、先日、日系企業に長年勤めて中華企業に転職したタイ人から聞いた言葉を紹介したい。

      彼は「中華企業には、Knowledge(知識)はたくさんあるが、日系企業に比べて表面的なものが多い。一方、日系企業には深くて厚いWisdom(知恵)がある。」と私に言った。ここでいう日系企業の持つ深さ、厚みとはなんだろうか。

      日系企業の持つ深さ、厚み

      まずひとつは「歴史」である。世界の中でも日系企業の歴史は最も長く、また語り継がれる創業者の逸話などは人の心を動かすものが多い。私は時々クライアント企業の「社史」などを翻訳してタイ人スタッフに読ませるプロジェクトを行うが、例外なく感動し会社に誇りを持ってくれる。そうした歴史の厚みは簡単には真似のできないものだ。

      二つ目は「倫理観」である。日本企業の理念には、社会貢献性や利他の精神に基づいたものが多い。多くの場合、それは創業の動機に表れている。SDGsが叫ばれているように、社会の共通善に向けて企業活動をすることは社員にとっての誇りとなり、仕事の喜びをもたらす。

      三つ目は「身体知」である。日本には「体で覚える」という文化がある。武道や禅は考える前に体験することを求め、モノづくりでは「現地・現物」を見ずに判断することを否定する。体験することで初めて「わかった!」という感覚を得て、それが価値の高い本質的な知恵となるのだ。これも日本の慣習に深く根差しており、他国には簡単に真似のできないことだ。

      こうした要素を生かしながら、今の時代に求められる自社の存在意義とは何かを煎じ詰めて言葉にしていくのだ。その際にはクリッティニー氏も指摘した「日本的なコンセプト」をうまく活用するのも有効だろう。昨今、資生堂は「OMOTENASHI(おもてなし)」という言葉を掲げ、ソニーは「KANDO(感動)」という言葉を掲げるなど、あえて日本的な言葉を用いて存在意義を世界に発信する企業が多い。グローバル化だから英語を使うのではなく、敢えての「日本らしさ」を語った方が自社の魅力が引き立つのではないだろうか。

      提言3:タイ人スタッフ主導で魅力的な文化を作る

      タイ人スタッフ主導で魅力的な文化を作る
      タイ人に働き続けてもらうためには「仲間意識」もカギである。そのためには自分たち主導で会社のカルチャーを作っていくことが重要だ。実際、多くの会社でそうした取り組みは既になされている。

      一例を挙げたい。ローム・セミコンダクター・タイランド社(RST)は、タイ人スタッフ主導で「RST WAY」の策定を行った。WAYとは行動指針のことであり、組織としてどういうことを大切にしたいかを定義したものだ。

      WAY(行動指針)のような価値観ができると、一人一人の行動も変わる。実際に、現場では「問題が起きても他部署に責任転嫁することが減った」「担当分野以外のスキルを学ぶ人が増えた」「新しいポジションに積極的に応募するようになった」など、行動面でのポジティブな変化が出ているようである。

      こうしたプロジェクトは、「やらされ」になってしまうと失敗する。日本人経営者が目的と趣旨を伝え、そこから先はタイ人メンバーを信じて見守る姿勢が重要だ。柔軟性を備えた日本人側の「任せる覚悟」が、タイ人主導の文化を作っていく。コミュニケーションの仕方さえ間違えなければ、そうした「相手を尊重する」姿勢自体は、日本人リーダーの得意技であり、それに感謝をしているローカルスタッフは多い。「一体感」はタイ人が会社を選ぶ際の最重要の項目であり、それを作ることが出来ると「選ばれる会社」に大きく近づくだろう。

      出所:RST社作成

      出所:RST社作成

      提言4:評価基準を透明化し、評価スキルを高める

      座談会でも述べられたように、人事制度の改革はキーとなる部分である。タイは年功的でありメンツを重んじる社会であるため、忖度に基づいた昇進や曖昧な評価が行われることが多い。これは日系企業に限らず同じであり、むしろファミリー企業が中心であるタイ企業の方が不透明で属人的な人事が行われ、高い離職率に繋がっている面もある。だからこそ、「評価基準の透明化」を日系企業が率先していくことで、優位性を発揮できると私は考える。意欲ある若手優秀人材にキャリアの階段を明示的にして、やる気を引き出していきたい。

      ただし、評価制度はよく「運用が8割」と言われる。一見するとグローバル標準に則った制度でも、現場で忖度した結果、運用が不透明という例はいくらでもある。つまりどれだけ人事制度を改革しても、制度を使う側の意識変革が進まないと有名無実化してしまうのだ。肝心なのは評価者の「部下を理解し支援する姿勢」「双方向のコミュニケーション」「フィードバックの質」などであり、また経営幹部の「企業理念に基づいた適切な評価判断」である。これらは全てマネージャーの力量によって変わってくるため、日本人、タイ人双方の成長が必要である。評価スキルは管理職のスキルの中で最も重要かつ最も難しいスキルである。にもかかわらず教育を施すことなしに評価をさせる企業が多いのではないだろうか。丁寧な教育を得意とする日系企業の強みを生かし、粘り強く制度を定着させていきたい。

      また、「評価制度を変えると離職率が上がるのではないか」と懸念する向きもあるが、離職には「良い離職」と「悪い離職」がある。適切な評価がなされ、会社にとって望ましくない人材が離職するのは良い離職であり、適切な新陳代謝である。日系企業の一部には離職率が低すぎてぬるま湯のようになっている組織もあり、それは悪い意味で離職率が低い状態である。タイにおいては年間で5%~10%程度の離職率は適正水準であり、むしろ望ましい状態として目指していきたい。

      海外拠点のガバナンス問題

      また、座談会でも出た「海外拠点のガバナンス」の問題も非常に大きな課題であるが、本質的には人事評価の問題と同根であると考える。

      メンバーシップ型で長年にわたって経営してきた日本企業では、「ヒト起点」での任用と評価が中心となっている。それを「ジョブ起点」に変えていくという改革を、海外拠点の日本人ポジションにも適用していきたい。これはどちらかというと日本本社の仕事となるかもしれないが、海外拠点と連携して行わないと進まない作業だ。そもそも日本以外の世界はジョブ型人事なので海外拠点はすでに「ジョブ型」で運営されているが、駐在員ポジションだけはメンバーシップ型での評価がされているという“ねじれ”がまだあるのではないだろうか。

      具体的には、マネジメントポジションにおける「期待成果と権限」「必要なスキルセット」を明確に定義し、そこに基づいて評価をする。期待とスキルセットが明確になれば、海外ポジションへの任用の精度も上がるだろう。よく「適材適所」というが、「適所(=海外拠点マネジメント機能)の定義」が曖昧だからこそ、ミスマッチが起きてしまう。日本側における海外人材プールの不足も大きな課題だが、基準が無ければそこに向けた育成も進まない。期待の定義と育成を並行して進めていくことが必要ではないだろうか。

      人事制度改革のポイント

      提言5:戦略的採用で優秀人材を「口説く」

      最後は、採用である。組織を大きく変革する場合は、外部から相応しい人材を採用してくる必要がある。採用とは、「人材市場における競争」である。マーケットの中で、競合に勝る自社の魅力を訴求することが出来なければ、優秀人材は採用できない。

      弊社クライアントの一部を見る限り「面接」はするが「自社アピール」が出来ていない会社が多いように感じる。優秀な候補者は他の会社からもオファーが得られるわけなので、どちらかというと自社にとっては「選ぶ」よりも「選ばれる」ことの方がゴールになる。候補者の日系企業への興味が高くない場合でも、他社よりも自社の方が良かったと思わせる作戦を立てて面接に臨めているだろうか。

      私は面接の最初に「5分間の会社紹介」をするように勧めている。通り一遍の会社紹介ではなく、先ほどの「ミッション(存在意義)」や、仕事のやりがいなどを魅力的に語るのだ。誰が語っても魅力的に聞こえるよう面接官それぞれに練習してもらうことも必要だ。マネージャー採用などの重要ポジションであれば、トップマネジメント自ら登場してミッションを語るのも良い。そこまでして「優秀な候補者は絶対に口説く」という意志を持って臨む本気度が必要だ。

      ここで一つ大きな問題がある。「そもそも優秀な候補者が面接に来てくれない」かもしれないということだ。再三書いてきたように、日系企業全体の魅力が下がっていると優秀人材の応募が来ず、限られたプールの中で面接をするほかなくなってしまう。

      そこで、自社の採用ブランディングの努力が必要だ。人材広告に、企業理念の発信や魅力的な写真を載せてアピールする。またSNSの会社アカウントを開設して日々社内の雰囲気を発信する。日本人リーダーもSNSで積極的に発信したり、Linkedinでタイ人と繋がってみたりと、積極的にタイ社会に開いて会社をアピールしていく努力が必要だ。SNSは何となく苦手と感じる方も、チャレンジしてもらいたい。既に社会のインフラとなっているSNSに精通しておくことも、これからのリーダーの必須条件だと言える。

      そこまでする必要があるのかと思われるかもしれないが、「採用は人事の最重要施策」ということを強調しておきたい。特に、人を辞めさせることが難しいタイや日本のような国では、間違った人を採用してしまうとその後に多大なパワーがかかる。それにも関わらず、採用するときはおざなりな面接で済ませてしまうことも少なくなく、アンバランスな状態であると感じる。

      その反対に、たった一人の優秀人材の採用が大きなインパクトをもたらすこともある。「採用は会社を変える」ことがあるのだ。だからこそ、採用はトップマネジメントも関与するべき重要マターであることを認識しておきたい。

      最後に ~タイから日本を変えよう

      日系企業を辞めて中華系企業に転職したタイ人の話を聞くと、「給料は上がったが、上司は数字にしか興味が無く、幸せを感じない。すぐに転職すると思う」と言っていた。その中国企業は離職率が驚くほど高いそうだ。あくまで一例ではあるが、仮に競合に人材を引き抜かれたとしても、その企業が上手く経営しているとは限らない。

      冒頭に述べた日本企業の「人を大切にする経営姿勢」、またそのベースとなる「他者を尊重する」「話し合い調和を図る」という日本的な精神性は、決して時代遅れでは無い。むしろ、企業の社会的責任や社会との調和が求められる現代の文脈に合致したものだ。いかに変革が必要と言っても、そうした自らの持つ強みは忘れてはならない。

      日系企業が変革するべきは、同質的なカルチャーの行き過ぎに伴い発生した「ハイコンテクスト(言語化しない慣習)」「意志決定の弱さ・遅さ」「基準のあいまいさ」である。日本人同士であれば心地よく仕事が出来ても、海外拠点やグローバル化する組織においてはモチベーションを下げる要因となる。本記事で取り上げたような弱点を克服し失点を防いでいけば、優秀人材を引き留め活用していくことはできると私は確信している。

      ここまで様々な課題を見てきたが「海外拠点の課題は、日本社会の課題」でもあると言えるかもしれない。しばしば「変革は辺境から起きる」というが、変化の最先端にいる海外拠点を変えずして日本社会を変えることはできないのではないだろうか。逆に、海外拠点で成功事例を作っていくことにこそ、日本企業のグローバル化のヒントがあると考える。

      10年後、タイの日系企業はどうなっているだろうか。悪いシナリオが的中して、存在感を失ってしまうのか。あるいは、タイ経済を再び力強くけん引しているのか。どちらの結果になるのかは、我々一人一人の行動にかかっている。10年後に反省の記事を書かなくても済むように、私も「シン・日本人」として皆さんとともに汗をかいていくことを決意し、筆を置きたい。

      寄稿者プロフィール

      Asian Identity

      • 中村 勝裕 プロフィール写真
      • Asian Identity Co. Ltd. CEO&FOUNDER中村 勝裕

        バンコクを起点にアジアに特化した人事・コンサルティングファームAsian Identityを経営。ネスレ、リンク&モチベーション、グロービスを経て現職。タイを拠点としながらアジア各国でのコンサルティングや講演活動を手掛ける。近著『リーダーの悩みはすべて東洋思想で解決できる』では日本人らしいリーダーシップをの在り方を提案している。リーダーのためのYoutubeチャンネル「名言ゆるラジオ」運営。

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