風水の息吹が詰まった台北「龍山寺」

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ソンクランの前に、仕事で台湾の台北市に行って来ました。丁度、中国軍が台湾周辺で軍事練習を行っている真最中でしたので、台北の人気パワースポットであり風水の宝庫でもある「龍山寺」へ行って、滞在中の無事、平安、仕事の成功を祈願しました。
この龍山寺は、中国清王朝の最盛期を作り上げた第6皇帝乾隆帝(別名:愛新覚羅弘暦:1711年9月25日〜1799年2月7日)の時代、乾隆3年(1738年)5月18日に工事を着工し、2年後の乾隆5年(1740年)2月に完成しました。当時、疫病が蔓延した事、悪い治安等が建設に至った経緯として挙げられます。当時の人々は病気の回復、生活の安定・平安、そして商売繁盛を祈願する寺を必要としていました。建築工事の施主は、中国福建省泉州市三義出身の実業家・黄典模氏で、工事費用として2万元以上の銀を調達しました。
建築様式は、中国の伝統的な「回」の形に構成された四合院宮殿式を用い、北西を背にして後殿、本殿、前殿、そして左右に左鐘樓と右鐘樓、前面手前には鼓樓、回廊があります。市内の有名な大通りである「廣州街」は龍山寺の門がある前面を走っています。この廣州街は、日本統治下の大正8年(1919年)にあった噴水を土で埋めて作られました。
また、廣州街を挟んだ向かい側には市民の憩の広場「艋航公園」があります。この公園は、龍山寺に常時良い気(パワー)を送り続ける「明堂」の役割を果たしています。この明堂は、当時の風水師、張察(別名:張茶苑)が龍山寺の「美点」として作りました。そして、この萬華地区の住民を火災から守り、生活を豊かにし続ける美鏡、「艋航公園美人照鏡池」も掘りました。先天八卦、陰陽五行、形成派をベースにした台湾を代表する風水の一例です。
1945年、第2次世界大戦の最中、米軍の空襲で本殿が全焼しましたが、龍山寺の本尊として、そこに安置されていた観世音菩薩は、無傷でした。それ以来、台北の市民は観音様の膝元は絶対安心だと信じて心の拠り所としているそうです。
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ビジネスコンサルティング会社
SSF CONSULTATION LTD代表
鶴田 雅子ボーンマス&プールカレッジ(英国)で、高等国家ディプロマを取得後、レイヴェンズボーン大学(英国)在学中に風水大師“葉清海”に風水の才能を認められ内弟子となる。2004年、クアラルンプール・YCH Academyの専属講師に任命。2009年、チュラロンコーン大学教育学部で博士号を取得。翌年に中国風水発祥の地として名高い中国江西省贛州市で開催された『第一回世界風水文化大会』に日本代表として出席し、新聞、テレビ、ラジオ等で大々的に報道される。
E-mail:sai@ssfconsultation.com
URL:http://www.ssfconsultation.com
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